鍋への言い訳

今日、今季初の雪がふりました。Sは子犬のように喜んで走り回り、チビS君は不思議そうにはにかみつかもうとする。そんな土曜日の夜ごはんは、お鍋だったご家族も多かったのかなと思います。我が家も負けじと、パパの希望によりお鍋になったわけですが、母には面倒な葛藤があるのです…。
結論から言うと、「親からの刷り込みはなかなか消えない、でも時間はかかるが書き換えることはできる」です!
ばばちゃんは、料理上手なのですがお鍋に興味がないひと。「まずくはないけど皆がこぞって鍋するのはよくわからない。楽だからするのでは?」という発言をするひとなので、もちろん母の幼少期に鍋はほぼ出されなかった。おでんはあったけど。そんな祖母に育てられた母なので、いつも鍋を作るとなると、手抜きしていると思われるのかなとか、たぶん要らない罪悪感がズシッとのしかかるのです。だから、自分からはほとんど鍋は作らず(作るときは楽をしたいと自覚しているとき)、パパが言うとそれでは…という感じで作っています。同じ世代の、気軽な感じになりたい。ワイワイ、つつくのが楽しいからって、温まるからって、心の底から思いたい。それが、あまり知られていない母の葛藤、というか現状を受け入れてできてはいるんだけど、頭でこんなことになっているのでちょっと面倒だなって感じます。
そこから学んだのは、大多数の世間一般人が楽しむことは、極端に嫌わないよう教育すること。
もう一つわからないのが、付け合せ。お鍋は、スープであり、メインであり、副菜であるため何を作ったらいいのかかなり悩む。今日は唯一日常に食品で使われていない卵を使ったニンジンしりしり。ロールキャベツも食材数は少ないけど同じだなぁ。