死を受け入れる

13日に、祖父が死んだ。S達からみたら曾祖父、89歳でした。約1週間の入院で緩やかに死に向かってゆき娘と息子に看取られて逝った。死ぬということは、いなくなるということだとSに説明して大泣きしたのを覚えていますか。3人で秋田へ向かって、母はクタクタでした。帰ってきて4日経ち、トランクもしまって跡形もなく日常を送っていますが、珍しく母は食欲がない。一般に、そんな死に方はきれいな死に方で、どこも悔しがるところがない。確かに私が幼少のときはとても可愛がってくれたけど、今は1年に1度、2~3日くらいしか会っていない。平気なつもりだったのに、今心が追いついていない感じ。今日も、いつも食べる量のパンを買って、イートインしたら半分でもう食べたくなくなってしまった。脳が日常を演出しているのに、心がお腹に命令している。なんていうか、うまく泣けなくて、きっと処理がうまくいっていない。共感できる人がいないからかもしれない。メンタルの弱い母(ばばちゃん)を慰め、体調を考慮し、Sに7歳なりの「死」の受け入れ方を説き、チビSと普段通り遊ぶ。こういう時は、誰がわたしを救ってくれますか。母は、強くなくてはいけないって、誰が決めたんだろう。

これは日記っぽいかもしれない。あと半年・1年したら母自身の気持ちも変化していくかもね。
宇多田ヒカルの「♪道」より
わたしの心の中にあなたがいる
いついかなる時も
どこへ続くかまだ分からぬ道でも
きっとそこにあなたがいる
it's a lonely road
but I'm not alone
そんな気分